観音院の寺宝

観音院の寺宝

十一面観世音菩薩
十一面観世音菩薩

十一面観世音菩薩(脇立:右・不動明王、左・毘沙門天)
岡谷市指定文化財(昭和51年3月15日指定)

諏訪湖から漁夫の網にかかって引き上げられ「ビク(魚籠)」の上に安置して持ち帰ったといわれており、今もその姿を残し霊験あらたかな為、多くの人々の篤い信仰の対象になっています。
また、秘仏とされていてご開帳の時(過去は60年に一度でしたが現在は1年に一度です)だけお姿を奉拝することが出来ます。
胎内銘から永正3年(1506)の作で、中世(室町時代)の仏像であることがわかっており、由布姫の曾祖父に当たる諏訪頼満が大檀那(施主)である記録があります。

賓頭廬尊者坐像
賓頭廬尊者坐像

賓頭廬尊者坐像 岡谷市指定文化財(昭和60年6月4日指定)

本堂(観音堂)の外陣に安置され、室町時代(1500年代)の作と推定されています。
この像をなでると万病が治るという信仰があり、「なでぼとけ」とも言われています。

本堂(観音堂)
本堂(観音堂)
 

本堂(観音堂) 岡谷市指定文化財(平成16年3月30日指定)

詳細な資料は残っていませんが、嘉禎4年(1238)の古文書には名前が記録されているので、それ以前の古くから堂宇の建立は行われていたと思われます。 江戸時代・寛永21年(1644)には諏訪出雲守源忠澄(後の二代:諏訪忠恒)により修造され、正徳5年(1715)諏訪安藝守忠虎(四代)により現本堂が造営された記録(棟札)があります。

表門(東門)からの朝日
表門(東門)からの朝日
 

当観音院の正門(東門)は真東を向いています。 春分の日と秋分の日(お彼岸のお中日)には、太陽が真東から上がって真西に沈みます。
(太陽は東の薬師如来の白毫から離れて、阿弥陀如来の八葉の蓮台に入るといわれている)
この時期、太陽が八ヶ岳から昇ると観音院の東門から朝日が差し込むと同時に、朝日が諏訪湖に反射して「黄金の道」が映し出され、それらの光が観音院(龍光山)に蓄積されているのが実感できます。

湖面に映る朝日
湖面に映る朝日

朝日は、私たちの体のリズム(体内時計)がくるってしまった場合に、その体内リズム(体内時計)を正常化してくれる働きがあるといわれています。 朝日が直接差し込むと同時に、諏訪湖に反射した光が間接的に観音院の山(龍光山)に当たるので、本当に僅かではありますが「1」以上のエネルギーが集まることになります。
こうしたエネルギーが1千年以上の永い間、自然の環境の中(土や樹木)に蓄えられてきているのですから、当観音院に足を踏み入れただけでなんとなく安らかな気持ちになるのです。

加えて、森林浴効果の高い「椹並木」との相乗効果でより安らかな境地になり、知らず知らずのうちに自然治癒力(免疫力)が高まってきて体の歪みが取り除かれることになるのでしょう。 そのためか、なかなか子供(子宝)に恵まれなかった方が当観音院をお参りしてから子供を授かったという話が昔からあります。ちょうどNHKの大河ドラマ「風林火山」の中でも、当院と関係の深い「由布姫」が御懐妊(勝頼を授かった)した場面が描かれていましたが、本当に当観音院にはそういった環境が整っているのかもしれません。 子宝に恵まれない方がおりましたら、是非お参りをお勧めください。合掌

鰐口

鰐口(表)

鰐口(表)

鰐口(裏)

鰐口(裏)

鰐口 岡谷市指定文化財(平成16年3月30日指定)

明応5年(1496)に鋳造され九所大明神に奉納されてかかっていたものを、永禄9年(1566)に浜松市の鴨江寺へ寄進されたものです。
それを、天正2年(1574)に小野(地名)の神主満昌が観音院に納めたものであることが、鰐口に刻字されている銘から窺い知ることができます。 しかし、この銘のほか鰐口に関する由緒については分かりません。

鐘楼
鐘楼

元禄15年(1702)に建立

梵鐘も同年に造られ小坂の晩鐘として親しまれておりましたが、戦争の際に供出してしまいました。現在の梵鐘は昭和24年(1949)に再鋳造されたものです。

柏槙の大樹
柏槙の大樹

柏槙の大樹

岡谷市天然記念物(昭和42年3月6日指定)
弘法大師・空海が衆生済度のために当院を訪れ、その際にお手植えされたと伝えられています。 樹齢は1200年以上と推定されています。

寺 叢
寺 叢

寺 叢 岡谷市天然記念物(昭和59年12月6日指定)

寺叢(じそう)とは、樹木・草木などが群がって茂っている境内地全体のことで、多くのカエデ・ナラ類が自生しており、スギ・サワラ等が植裁されています。 特にサワラの大木の並木はめずらしく、樹齢500~700年以上と言われています。

由布姫の供養塔
由布姫の供養塔

由布姫の供養塔
由布姫は、小説「風林火山」(井上 靖著)の中での呼称であり、実名・本名はわかりません。(諏訪御寮人・湖衣姫などとも呼称されています。) この姫は、諏訪頼重(ご本尊の大檀那である諏訪頼満の孫)の娘で、武田勝頼の母にあたり、当院で療養していたと伝えられているため、昭和38年 (1963)に供養塔を建立し毎年5月3日に供養祭を厳修しています。また、諏訪頼満が大檀那であるご本尊もあわせてご開帳しております。

その他の石仏・石碑
その他の石仏・石碑

その他の石仏・石碑
三十三観音の石仏、屋外に立つ像としては数少ない釈迦三尊像、祈願がたえない子育観音など多くの石仏・石碑が存在しています。