龍光山観音院(小坂観音院)_風林火山、由布姫ゆかりの諏訪湖畔にあるお寺_名所諏訪八景

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大門と見返りの桜
サワラ並木と表門
本堂(観音堂)
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観音院の縁起
観音院のご本尊:十一面観世音は、伝承によるとその昔、諏訪湖の中から漁夫の網にかかって引き上げられ、その尊体を安置するところがなかったので、携えていた「ビク」(魚籠)の上に奉置して持ち帰ったといわれています。

そして、里民一同と相会して、湖岸の景勝地を選び丘上の清浄な所に仮宇を構え尊像をお祀りしましたが、初めはわずかに雨露を凌ぐ程度のものでした。しかし、しだいに遠くからの参詣者も多くなり、ある時期にはとても盛大になったと伝えられています。

これが観音院の起源であり、こうしたいわれから今のご本尊様も「ビク」(魚籠)の上に奉置されているように造られて仏殿の中に納められています。今なお多くの人々の厚い信仰の対象になっていますが、秘仏とされていてご開帳の時(過去は60年に一度でしたが現在は1年に一度です)だけお姿を奉拝することが出来ます。

観音院(小坂観音院)の創建は未だ知ることは出来ませんが、境内にある樹木は樹齢が古く「椹(サワラ)」と「杉」の並木は樹齢500〜700年以上といわれています。

特に、本堂(観音堂)の前に木の玉垣で囲まれ支柱をもって風雨を防いでいる、御宝木(おたからぎ)と呼ばれる一大老樹の「柏槇(びゃくしん)」は樹身の半分が被災によって枯渇していますが、今も半分は青々とした葉をつけ生きています。この柏槇の大樹は実に樹齢1200年以上と言われており、弘法大師空海のお手植えであると言い伝えられています。

そして、この老樹は自生したものではなく他から移植したものであることは地勢によって見るも明らかなので、当観音院を取り巻く自然の樹木などが開基の古きことを証明しています。

なお、中興の開山は別当 宥清、開基は諏訪出雲守源忠澄(後の二代:諏訪忠恒)公です。

古昔は正福寺(昌福寺)と称す諏訪大社上社の社坊となっていましたが、昌福寺が川岸の駒沢に移転した後は諏訪藩の祈願所となっていました。(別当として昌福寺が兼務)

明治4年(1871)新義真言宗醍醐派から昌福寺の末寺として観音院の院号が与えられ、明治44年(1911)新義真言宗智山派の公称寺院となり現在に至っています。

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